実名主義に潜む罠
まず最初に本記事で何が言いたいかと申しますと、ブログでもエッセイでも何でも良いんですが、インターネットだけではなく新聞の記事や書籍等も例え実名を出して書かれていたとしても、本人が書いているという保証などはどこにもないということです。
(そういえば、本人が書いているということを保証する方法ってあるんでしょうか。あるいはわざわざ保証して書いている人はいるんでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示願いたいです。)
まあゴーストライターなんていう言葉が広く世に知れ渡っているぐらいですから、そんなこと自明なことではあるんですが。
しかしながら、実名主義を重んじている人ほど。わざわざそんなこと強く言っている人ほどちょっと疑ったほうがいいんじゃないだろうかと思いました。
こういったことを書くと前記事を読まれた方は「勝間和代のクロストーク - 毎日jp(毎日新聞)」のことを書いているのかと思われるかもしれません。誤解の無いように言っておきますが、「勝間和代のクロストーク」は
「勝間和代さん本人が書いているものではない」
ということが言いたいのではなく、
「勝間和代さんの代わりに誰かが書いていても分からない」
と言うことです。例え文章の最後に署名していようとも。本人の承諾の上で掲載しているのは確かなのでしょうが。(でも、『安部公房の「天使」を読みながら思ったこと - かもめ日報』でも書いたように本人の承諾なしの場合も十分あるわけですが)
それで、こういったことがあった場合に誰が損をするのかといいますと、読者なのかなあと思いきや実名で書いている本人なんだろうなあと思います。と言いますのも、(勝間和代さんを例に出して大変申し訳ないのですが)勝間和代さんよりも読者を獲得できるなあという人が現れた場合に、例えば最近人気がある方で言いますと池上彰さんでしょうか。(こちらもまた池上彰さんを例に出して大変申し訳ないのですが)「池上彰のクロストーク」なんていう企画に取って代わられる可能性も十分あるんじゃないでしょうか。そういったことは承知の上なのかもしれませんが、読んでいるものとしては悲しいものがあるわけです。
とまあいろいろと書きましたが、こういうことを書いている人ってあまりいないように思ったので本記事を書いてみました。
以前、デキビジで放送された勝間和代さんと西村博之さんの対談が話題になっていましたが、
デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき を文字におこしてみる - さかなの目
インターネットだけではありませんが、「匿名で書かれるのを防ぐ」ということと、「実名を出してその本人以外の誰かが書くということを防ぐ」ということは同じぐらい難しいことなのではないだろうかと思いました。
本記事を読まれた方で何か意見等がある方は、どうぞコメントにでも何か残していただけると幸いです。