かもめ日報

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「自殺の9割は他殺である」上野正彦 を読んで

この本の序章にはこういう文が記されており、

 

『一般の方は「法医学とは犯罪捜査のための医学である」というふうに思い込まれているふしがある。

しかし、法医学の役割というのは、決してそれだけではない。法医学は犯罪捜査の医学であると同時に、同じような事故が二度と起こらないようにする「予防医学」であり、またそれを広く社会に訴えかけている人に役立たせる「社会医学」でもあるのだ。』

 

なるほどなあと思いつつ読んでいたのですが、その後の内容は「いじめられっこの自殺」や「社会に殺された人々」、「老人の自殺」などに触れるものの特に真新しく感じるものはなく、これまでにどこかで見聞きしたような内容でさらっと最後まで読んでしまいました。全てがとまでは言いませんが、恐らくこれまでの著作物、あるいはメディア等で何度も言及されてきた内容なのではないでしょうか。

それで読み終わった後何とも言えない読後感がありまして、何なんだろうと考えていたのですが、この本の「終章」の「法医学者の考える死」に

 

『私は死ぬときも、やはり自然に死ぬべきであり、自殺のように自らの意思で死を選ぶのは不当であると考えている。<略> 運命に身を任せて人生をまっとうすべきである。』

 

と書かれてあり、これだけ死を目の当たりにしてこられたお方がなぜこんなことをおっしゃるのだろうと不思議に思ってしまいました。「自然に死ぬべき」というのは自殺以外の死でということなのでしょうか。自殺は不自然というのはなんだかおかしいような気がしました。(自殺を選んで欲しくないという気持ちからなんだと思われますが、それにしても浅はかなお考えのような気がします)

それでまた、なぜこんなことをお書きになったのか考えてみたのですが、著者の上野さんの経歴を見る限りですと、これまで数多くの「死体」と向き合ってこられたようですが、「死」、あるいは「死の瞬間」と向き合ってこられなかったからではないだろうかという考えに至ったわけです。そういったものごとを目の当たりにしてこられたのであればまた意見も違ったのではないだろうかと想像しました。

 

そして、「終章」最後のほうに

 

『私も80歳を超え、死について考えることもある。』

 

この年代のお方のこういった文章を見てしまうともう何も言えないなあと思うわけです。

 

しかしながら、30年もの長い間監察医をお務めになるというのは恐らく私には到底真似できるものではなく、私には想像し難い「死体」とも向き合ってこられたのだろうなあということについては、それはもうすごいものを感じずにはいられないわけです。

 

自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言

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