かもめ日報

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子育てについて 「iPhoneと使用契約書の記事」を読んで思ったこと

13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より(Hana.bi) - BLOGOS(ブロゴス)

 

こちらの記事がちょっとした話題となっているようで、

 

はてな匿名ダイアリー - iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。

 

このような記事が書かれていたりしてます。

 

私の意見としてはこの「はてな匿名ダイアリー」に書かれている内容とちょっと違いますが、方向性としては似ているものがありそうです。しかしながら、「子どもを作るなよ」とまでは言いませんが、子ども目線で見ると先々苦労するんだろうなと思います。そして、本人自身その苦労の原因が何か分からなかったりするんだろうなと思います。

 

私はこういうなんらかの制限(抑圧とも言うんでしょうか)を受けて育った知り合いに何人か会ってきましたが、その後そういった制限や育った環境が原因となって何らかのコンプレックスとなっている場合が多いように思います。しかしながら、そのコンプレックスをバネにして特殊な仕事に就いていたりしてうらやましく思えたりしていた時もありましたが、全員がうまくいっているわけでもなく、またこちら側から見ると上手くいっていたりうらやましく思えるように見えて、本人としては原因の分からない苦しみを抱えていたりするケースもあるのではないかと思っています。

 

こういう苦しんでいるように見える人たちを見てきますと、やはり「iPhone使用契約書を書いた母」の子育て感覚は子どものためというよりは母自身のためのように思えます。また今回のケースは母となっていますが父の場合もありそうです。そしてここが重要に思えるところですが、実はこの母自身もこのような育てられ方をしてきた、もしくは人生の途中で何らかのトラブルがありそのことが影響しているのではと想像してしまいます。

 

そういった中で、「間違った子育て」(教育でもいいかもしれませんが)というのは恐らく単純に定義できるようなことではないように思います。理由として例えば現代の日本では子どもを「殺人を行う者」に育てるというのは99.99%「間違った子育て」となるのでしょうが、国や時代が変われば間違いではなくなったりするのは想像できるかと思います。(誤解の無いように言っておきますが、私も大体の方と同じように基本的に殺人はしてはいけない行為だと思っています。)

 

「正しい子育て」なんて言うのもあるのでしょうか。極端ですが例えば、「プロ野球選手にさせる」なんていうのを定義されてしまうと、ほとんどの子どもが「間違った子育て」を受けてきたということになってしまいます。ここまで極端じゃなくても「良い大学に入って良い会社に入る」なんていうのも「正しい子育て」とは言い難いものがあります。結局のところ「正しい子育て」なんて言われているものは大体が単なる親の期待だったりコンプレックスを押し付けているだけだったりするんじゃないだろうかと思ってしまいます。

 

「正しい子育て」だったかどうかは、結局のところその子どもが成長して大人になって亡くなるまで分からないのではないかと思います。でも、亡くなってみても「正しい」とか「間違った」ではなく、大体の人が「間違っていなかった子育て」というところに落ち着きそうな気がします。

 

ただまあ、「正しい子育て」があるとすれば。私が思うに、道を踏み外さないように優しく見守ってあげる。例え道を踏み外しても見守ってあげる。ただその子の命が危険な目にあうようなときには手を差し伸べてあげる。そういったことぐらいしかできないもの、あるいはそういったことで十分なものなのではないだろうかと思っています。